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#3:親から教わった大切なことは?
#3:親から教わった大切なことは?
莉子は、不思議な子だとルミは思う。
街ですれ違っても、きっと誰も足を止めない。特別目立つところのない、ごく普通の子だ。
けれど教室では、なぜか存在感がある。
もしかしたら、クラスのみんなが「莉子のお父さんはお金持ちだ」と知っているからかもしれない。誰かが口に出すわけではないけれど、なんとなく、みんなが一歩だけ距離を取っているように見える。
莉子は目立つことをしない。だから嫌われることもない。
でも、特別に仲のいい友だちがいるわけでもなかった。気づくと一人で本を読んでいたり、窓の外をぼんやり眺めていたりする。話しかけられれば、ちゃんと笑って答えるのに、自分から輪の中に入っていくことはほとんどない。
ちょうど、夏の教室のすみに置かれた観葉植物みたいだ、とルミは思う。そこにあるのは分かるし、空気を静かに明るくしている。
でも、近づかないと、何を考えているのかは分からない。ただ、たまに――ほんとうにたまに――ぽつりと大事なことを言う。
そのひとことが、あとになって不思議と心に残る。
――だから、やっぱり莉子は「ちょっと不思議」なのだ。
「好きなことをやりなさい」
莉子のお父さんは、そう言うらしい。
きっと、悪気はない。むしろ、娘を信じているからこその言葉なのだろう。
でもルミには、その言葉が、莉子の肩にそっと重くのしかかっているように見えた。
「好きなことって、何?」
その問いのまわりを、ぐるぐる回って、抜け出せなくなっている感じ。見つからないまま立ち止まってしまっている感じ。それを思うと、ルミの胸の奥がきゅっと切なくなる。
莉子は、ただの“普通の子”に見える。けれどその心には、誰にも気づかれない湿った影のようなものが、静かにまとわりついている気がした。
*
夕食後、ルミは麦茶を飲みながら、落ち着かなそうにソファで足をゆらしていた。その足に、ナナが鼻先をのせて、気持ちよさそうにしている。
「お父さん……ちょっと相談していい?」
その言い方が珍しくて、父親は思わず身を乗り出した。
「どうした?」
少し迷ってから、ルミは言った。
「今日ね、莉子と一緒に帰ってて……。“好きなことが分からない”って言ってたの」
父親は軽く目を見開いた。
「莉子ちゃんが?」
「うん。莉子のお父さんに“好きなことをやりなさい”って言われてるみたいで。でも、好きって言えるほどのものが見つからなくて……困ってる感じだった」
ルミの眉は、心配そうに寄っていた。友だちのことを、本気で気にかけている表情だった。
「好きなことってさ、すぐ見つかる子ばっかりじゃないよ」
父親は、できるだけ軽く言った。
ルミはうなずいたけれど、どこか納得しきれていない顔をしている。
「でも……“好きなことを見つけなきゃ”って言われると、見つけられない自分がダメみたいに思うかもしれないよね」
父親は、その言葉に小さく息をのんだ。十三歳なりに、人の気持ちをちゃんと想像している。
「そうだな。親の言葉って、大きな声じゃなくても心に残るからね。支えになることもあれば、重たく感じることもある」
ルミはコップをくるりと回しながら、考え込んだ。
「……そっか。親の言葉って、強烈にひびくときがあるんだね」
ナナが「そうそう」と言うみたいに、しっぽを振った。
「ルミも、私たちの言葉で影響を受けてるところ、あるんじゃない?」
父親がそう言うと、
「ある。めっちゃある」と、ルミは即答した。
「例えば?」
少し考えてから、ルミは言った。
「“好きなことを探せ”って言われた記憶、あんまりなくてさ。そのかわり……お父さん、いつも“今やってることをちゃんとやれ”って言うでしょ」
父親は、はっとした。
「宿題でも、片づけでも、絵でも。“それ、ちゃんと向き合った?”って聞かれるの。好きかどうかより、“向き合ったかどうか”を大事にしてる感じ」
「なるほど」
「だから私、好きか分からないことでも、とりあえずちゃんとやってみる癖がついた。やってるうちに、“あ、これは嫌じゃないな”とか、“もうちょっとやりたいかも”って思うことがあって」
ルミは、少し照れたように笑った。
「気づいたら、それが“好き”になってた、みたいな」
父親は、思わず息をついた。
それは、探して見つける“好き”ではなく、積み重ねの中で育つ“好き”だった。
「……莉子ちゃんとは、そこが違うのかもしれないな」
「うん。莉子は、“見つけなきゃ”って立ち止まってて。私は、“ちゃんとやってたら、そのうち分かる”って思えてる」
その言葉には、教えられたというより、親の姿勢をそのまま受け取った自然さがあった。
*
そのあと、ルミはスマホを手に取り、Graceを呼び出した。
Grace:ルミさん、教科書の中だけでなく、いろいろなところから学んでいますね。
ルミ:ありがとう。Graceに言われてから、自分が何を学んでいるか、意識するようになったの。
さっきの父との会話が、自然と頭に浮かんだ。
Grace:では、一番多くを学んでいるのは、誰からだと思いますか?
ルミ:……分かる。お父さんとお母さん。
Graceの声は、やわらかく響いた。
Grace:正解です。ご両親は、言葉よりも行動で、多くのことを伝えています。
では──心に残っていることを、ひとつ挙げるとしたら?
ルミは微笑んで答えた。
ルミ:“好きなことを急いで決めなくていい”ってこと。“今やってることにちゃんと向き合ってたら、あとから分かる”って。たぶん、それを言葉じゃなくて、態度で教えてもらってた。
Grace:それは、とても大切な学びですね。“探す”より、“育てる”という考え方です。
ルミはうなずき、ノートの端に書いた。
『親から教わった大切なことは?』
人からの“静かな影響”は、いつ、どうやって、自分の中に根づくのだろう。夏の夜。ルミの心の中に、またひとつ、小さな灯りがともった。
【Grace の問い(親子で10分)】
1)親の背中から受け取った“ふるまい(価値観)”を、ひと言で書いてください(例:やさしさ/約束を守る/先に気づいて動く など)。
2)その価値観が最近の自分の行動に表れた場面を、昨日〜1週間以内から1つ挙げてください。
3)明日、その価値観を具体的な行動1つで表すとしたら、誰に・どこで・何をしますか。
【落とし穴(3つ)】
1)美談や武勇伝で終わり、具体がない。
2)親の欠点探しになって、学びが“反発”だけになる。
3)価値観の言語化で満足し、行動計画に落とさない。
【確認用チェックリスト(3項目)】
□ 価値観が自分の言葉で1語に絞れた。
□ 直近の具体的な行動を1つ挙げられた。
□ 明日の相手・場所・行動が特定できた。
【今日の振り返り(見本・100字)】
親から受け取るのは言葉より背中。日々の選び方が、私の価値観を形づくる。私は『先に気づいて動く』を磨きたい。明日は夕食後に食器を片づけ、愛犬の水皿を先に満たす。気づきと気分の変化を「お金ログ」に記録する。
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問い#3:親から教わった大切なことは? |
